
まい泉青山本店レストランは1978(昭和53)年に開業し、1983(昭和58)年には隣接していた銭湯「神宮湯」の廃業にともない、その建物を譲り受け、「西洋館」という名のダイニングルームを増設して営業してきました。この「西洋館」はお客様から『旧き良き昭和の日本建築に懐かしさを感じる』『天井が高くて、ゆったりした気分でお食事ができる』など、国内外のお客様から長らくご愛顧をいただいてまいりました。
今年の2月より青山本店レストランの改修工事をおこなっていますが、「西洋館」の工事中、思いがけずかつての「神宮湯」の名残りが見つかりました。そこで、銭湯文化研究の第一人者で、かつての「神宮湯」をご存知の社団法人 日本銭湯文化協会理事 町田 忍様に現場をみていただき、おはなしを伺いました。
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さて以下が神宮湯銭湯時代のわかったことです。
1982(昭和57)年ころまで営業。創業は不明。典型的な東京型銭湯の代表格の様式です。特徴は宮造り型。脱衣場天井は格子状の社寺風の最上級の「折り上げ格天井」の吹き抜け(脱衣場が吹き抜けは東京型銭湯の特徴)であった。
庭は富士山から運んだ溶岩と高級な大きな庭石、創業時は錦鯉がいたと思われます。建築年代はその外観の様式からして戦後から1965(昭和40)年ころまでと思われます。
■浴室・・ペンキ絵
湯船が壁際にある東京型銭湯・その上にペンキ絵背景画があります。絵の下には近所のおみせの広告看板(業界用語でコマ)がはいるスペースが残っています。これはかつて銭湯専門の広告代理店が地域ごとにあり、そこに所属する絵師が描きました。神宮湯場所からして「美虹社」(現在消滅)という広告代理店が担当しており、絵はおそらく年代からしてそこに所属していた「木村進」さん(故人)が描いた絵と推測されます。当時広告が年に一回更新時ごとに集金、その代金で年一回無料で新しい絵にしていたのです。したがって銭湯は費用を負担することなく毎年新しい絵になりました。
このようにペンキ絵は本来1年という短い期間しか残されていないわけで、そのことからするとまい泉さんのこの絵は40年以上前の大変貴重な絵で銭湯文化遺産といっても過言でない絵と思います。
■タイル絵
左浴室ペンキ絵下に小さいタイル絵があります。鯉の尻尾の部分です。これは九谷焼です。この部分に鯉のタイル絵があるのは昭和40年代までの東京の銭湯に多くみられました。なぜならばこれらタイル絵は全ては金沢のタイル店『鈴木建材店」のご主人が戦前から見本帳を持って全国をセールスした結果でした。とくに東京の銭湯のオーナーの約8割が北陸(石川・新潟・富山)出身でしたので、石川県の金沢などで生産されていた九谷焼はその高級感と故郷に近いこともあり盛んに利用されました。またこの地域は鯉の生産地としても有名でした。
神宮湯のタイル絵を描いたのは金沢にいた石田庄太郎さん(画名「章仙」)は大正3年生まれ(故人)。都内の多くの銭湯のタイル絵を手がけました。神宮湯に残ってるのはわずか4枚ほどですが。同じタイル絵の完全版は現在、渋谷のもと同潤会文化アパートの敷地にある公園に記念で残されています。
以前、章仙さんにインタビューした際「鯉の絵が多いのは、お客コイコイと登竜門の縁起からで、12匹描くことが多かったのは12ヶ月お客コイコイからです」との話でした。
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いかがでしたか?文中に出てくる、ペンキ絵やタイル絵はお客様にはご覧頂けませんが、この「神宮湯」の名残や思い出は大事に次世代に引き継いでいきたい、という思いから、ご紹介させていただきました。「西洋館」は7月末には改修工事を終え、リニューアルオープンをさせていただきます。皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。